• 「猫の手貸します」

今、12日の代表質問に向けて、
関連資料に目を通しながら、
自分の見解を逡巡し、整理しているところだ。
今回も災害対策をメインにしている。
そんなことから、
東日本大震災に関連の著作にも多数目を通している。
そのうちの一冊。
『次の巨大地震はどこか!』(穴倉正展著/宮帯出版)
には考えさせられる。
一言で言えば…
東日本大震災は想定外ではなく、すでに予知されていた。
その裏付けや事前の提言活動についてが記されている。
オカルト的予知ではなく、
「古地震学」という、地層などにより過去の地震を研究し、
そこから、未来に関する余地をするというもの。
昨年8月には、広報誌で
「宮城県~福島県沖で巨大津波を伴う地震がいつ起きてもおかしくない」
と述べていたという。
この件に限らず、こうした声は
事前に複数政府や東京電力に寄せられていたことが、
この数ヶ月間にわたり報道されている。
政府や東電はなぜ、こうした声に耳を傾けないのか!
と怒りの感情に満ちた言葉を発するかもしれない。
その反面、
一つ留意するべきことがある。
それは私たちはどうだったのか、
ということだ。
こうした声に耳を傾けてきただろうか。
今なら、答えが出た後なら、
その言い分が正しいことだったとわかる。
しかし、大震災の前に、
何かの起こる前に自分がその意見を聞いたとして、
それをまともに受け取り、
自らの行動に結びつけていただろうか。
事後的に正義を振りかざすのは、
まさに「後出しジャンケン」とも言うべき、
ことにならないだろうか。
現に先の著者、穴倉氏も
「眉唾だと思っていた」と言われたという。
こうした事は往々にしてある。
今回の震災や原発事故について、
事前に警鐘を鳴らしていた人たちが少なからずいた。
そうした「かわり者」の声に耳を傾け、
安全性への備えや配慮をしていたならば、
ここまでの被害はなかったかもしれない。
母親たちの不安、子どもたちの心配も、
軽減できたかもしれない。
社会的な権威者が間違った情報を堂々と発することや、
マスコミがそれを検証なく流すことも、
原発事故後の状況を目の当たりにし、
私たち国民は学習することとなった。
権威者やマスコミの発信について、
鵜呑みにせず注意して耳目を傾けなければならないのだろう。
今回の大震災は、
私たちに留意すべき宿題を預けたように思う。
これは大震災や原発事故のことだけではない。
社会における私たちの生き方にまで想像力を働かせたいものだ。
ちなみに、穴倉氏によれば、
地震予知について、
「どこで」起きるかは予知しやすいが、
「いつ」や「どのくらい」なのかは難しいという。
また、関東の地震はプレートに由来したものも、
起こりうる可能性を指摘している。