• 「猫の手貸します」

2011年。
激動の時代、を実感した。未曾有の大震災、根こそぎ街を破壊した大津波、人々の生活を奪った原発事故。人間とはいかに小さな存在なのか…思い知らされた。
が、不思議なもので涙した後は、決まって自分の足で立ち上がろう、という高ぶる気持ちの存在に気がつく。危機に直面するほど、それに反発するように生きる意欲が湧きあがってくるものだ。
大震災の有無にかかわらず、今、私たちの社会は危機の渦中にある。1000兆円に積み上がる借金が、 他国の財政破綻のニュースと重なり、不安をなお掻き立てる。少子高齢化、グローバル化、情報化による複雑多様化など、社会の置かれた環境やその基盤自体が大きく変化する中、従来の発想では解決しえない難題が山積する。次の時代に向けた新陳代謝が目に見えて進んでいなければならないはずだ。にもかかわらず、大勢は前時代に「つぎはぎ」を当てている状況が続いている。
この荒波を乗り切る潜在力は、私たち「民」自身の中に存在している、と確信している。行政に依存を続けても、新しいものも解決方法も出てこない。自ら切り開く気概こそ、その原動力となる。もちろん行政の役割が無くなるのではない。「行政のすべきこと」に集中してもらう。もっとも留意すべきは、自分の足で歩もうとする「民」の力を信じ、政治や行政は邪魔をしないことだ。
留意するべきことはもう一つある。他者への批判が過ぎると、肝心の新たな提案のためのエネルギーが枯渇するという点だ。あくまで提案を含んだ批判を心掛けたい。答えのないこの時代、批判だけでは元通りとなる。評論家を返上し、自分から「やってみる」という実践者こそ、次の時代を創る。ぜひお互いに、何らかの責任を引き受ける実践者という立場に立とう、と呼びかけたい。
私は、昨年5月に「40歳」という人生の折り返し地点の節目を迎えた。恥ずかしながら、いまだ惑い続けている私だが、再び4期目の市議会議員としての機会を預けていただいた。政治の大混乱が予想される2012年。挑戦する気持ちを忘れず、ゆっくりとした歩みかもしれないが、しかし力強い歩みを進めたい。