• 「猫の手貸します」

その政治姿勢や深い論理的な思考。
1990年代の日本を誘因した
政党「さきがけ」の理論的支柱。
官権から民権への第一人者。
田中秀征先生には、
示唆を与えていただいている。
私の議員人生には、
お手本として、
無くてはならない存在である。
2001年。
さいたま市が誕生した年だ。
私は、2年の浦和市議の任期を務めあげてから、
合併後のさいたま市議への道を踏み出さず、
いったん辞職し、
もう一度、一から政治の道を歩み始めた。
それまでの支持者のほとんどとの決別。
議員としての立場も環境も失った。
決断し踏み出したものの、
次の選挙に当選する足がかりは、
全くと言っていいほど無かった。
この時ほど孤独感を感じたことはない。
そんな時。
秀征先生の、
特に連続4回の落選時の想いに、
想像をはたらかせた。
徒手空拳で無所属での衆議院議員への挑戦。
一度の落選でも
胸をかきむしるほどの
絶望感のもたらされる落選を、
4度も連続で経験されたのだ。
(私も最下位当選の際、胃が切り裂かれる思いだった)
もちろん、お金がふんだんにある挑戦ではない。
スーツすら自分で新調できず、
支持者から贈られたというエピソードがあるほどだ。
最近、この時の気持ちについて、
先生から聞いたのは、
「次に駄目だったら政治家への挑戦を断念した」
という趣旨の言葉であった。
4度目の落選の際には、
どんな想いだったのだろう。
さらに。
その時に、その絶望感を払拭するのに、
どんなことを考え、
そしてどうやって自分を奮い立たせたのだろう。
辞職し、孤独感にさいなまれる中、
私は、ひたすらそんなことに想像をめぐらせた。
果たして自分は
有権者に訴えうる、
確たるものを持っているのか。
自分の考えを、どんなことがあっても
曲げずに貫くことができるだろうか。
それだけの本気度を備えての
挑戦ができるのだろうか…
タイムリミットが近づく中、一歩踏み出した。
そして2003年のさいたま市議選への挑戦に向かった次第である。
どれだけ勇気づけられただろう。
以来、政治家としての壁に突き当たるたびに、
直接・間接に、先生には、
示唆を与えていただいている。
その先生からいただいた数々の言葉の中でも、
次の言葉は、
政治の末席に身を置く自分にとって、
時々思い出し、教訓としている言葉である。
「願望が洞察を曇らせる」
自分の都合のいい思考のまま、
物事が進むと思い込んでしまうことにより、
結果的に判断を誤ってしまう。
政治家の役割とは、
様々なものをはぎ取っていくと、
「決定する」ということ。
その願望に基づく誤った認識は、
間違った決定をもたらす危険性がある。
この言葉を聞き、はっと我に返った。
決定を役割とする政治家に、
最も備えていなければならない心構えである。
常に、曇りのない眼で、
目の前にある物事を素直に直視することが、
何より大切であることを学んだ。
先生の提唱する国づくりの方向に
「質実国家」
というものがあるが、
これについては項を改めて記したい。