• 「猫の手貸します」

統一地方選挙実施が実施されることについて、
当ブログやツイッターにおいても、
すでに私の意思を示してきている。
あまり大きく取り上げられておらず、
選挙期間に入ると、
一気に大きな問題として浮上する。
今、気が付いていない方々が、
一機に気がつくこととなる。
こんな予想をしているがために、
ここで再度、取り上げておきたい。
3月18日、「統一地方選挙延期特例法」が成立した。
これだけを見れば、
統一地方選挙全体が延期されると思うだろう。
ところが、この特例法は、
選挙の「実施法」である。
紛らわしいのだが、
延期は被災した一部の地域に限定される。
報道によれば「総務相が指定する被災地の県と市町村に限り、投票日を2~6か月の範囲内で延期できると規定している。延期の基準について総務省は、〈1〉選挙事務が執行できない〈2〉庁舎が崩壊した〈3〉犠牲者が多数に上る――などとしている。総務省によると、統一地方選では岩手、宮城、福島3県で岩手県知事選など計70件の選挙が予定」されているとのことだ(2011年3月18日14時42分 読売新聞)。
この決定は、
民主・自民・公明の賛成で決定されたという。
これらの政党所属議員も含めて、
自治体議員や新人として立候補予定者たちは、
ほとんどが違和感を持っているのではないか。
「この時期に選挙ができるのだろうか」と。
選挙という、
厳かな民主主義の根幹をなす行事
という意味の原理原則論や、
議員の任期の期限が来るということの重要性は、
否定するものではない。
ただ、これらは「平常時」において適用されるもの、
という認識である。
これだけ国を揺るがす歴史的な災害が、
未だ現在進行形で起きている中。
この緊急事態に選挙を実施できる、
との考えが理解できない。
選挙をやるだけの余裕があるのか。
もしくはその効果があるのか。
選挙で使用するガソリンがあるなら、
そのガソリンは被災者支援や
社会の基盤を支える分野に回すべきであろうし、
有権者も、冷静に自分の自治体のことを
考えるだけの余裕が持てない中で、
もしくは今後の日本の姿がみえない中で、
さらには自分の自治体での出来事すら
混乱気味で収拾されていない中で、
選挙を行なう効果がでるのだろうか。
この被災が比較的軽いさいたま市ですら、
行政職員も自分の自治体の被災者への対応や、
避難者の受け入れに奔走しているし、
市民もガソリンが不足するなど生活物資が不足し、
停電で混乱するなど、生活は決して平常化していない。
あと10日の間に、正常化するとも思えない。
未だ、私たちの意識は、
被災地の方々や原発にかなり向いている。
選挙の結果。
4年間議会の議席を有し、
市政の決定に責任を負う議員を
選出することとなるのだ。
今後、少なくとも4年間を展望しての投票、
という視点を今現在、
有権者は持ちにくい段階ではないか。
プロ野球でも、開幕をめぐり、
判断が二転三転している。
5月の浅草の三社祭りすら中止が決まっているのだ。
大阪の橋下知事も異論を示しているから、
単に東日本の話だけでもない、と推測できる。
全国で、それぞれの現場では、
こうして様々な配慮がなされ、
実施の有無の判断に迷っている中、
早々に選挙の実施を決めてしまった
国会の判断に私は憤りを禁じ得ない。
深い思考のもとに決められたのだろうか。
歴史的国難のこの時に、
こうした判断をした
国会議員らに国政を任していいものか、
とすら思う。
この短い期間で、私自身も、
いろいろなルートで延期を模索するも、万事窮す。
選挙10日前にして、
延期は不可能だと受け止めた。
ならば。
選挙が行なわれる以上、
私はこう考えている。
私は「納税者主義!!」を自分の第一に掲げ、
議会での納税者の意向を反映する立場に立つことを
鮮明にしてきてきた。
今後とも変わらずに、これを根底に置き、
この歴史的困難に直面した日本の再出発を、
さいたま市から進めていく、
という気概をもって臨みたい。
大震災が進行中であることを踏まえながらも、
粛々と訴えていくこととなるのだろう。
以上。