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■20110219【紹介】「人間は死ぬのに、なぜ生きるの?」

永六輔さんのラジオ番組にて。

子ども電話相談室で、
「人間は死ぬのに、何で生きるのですか」
という質問があったという。

こんな子どもの、
それも率直な質問が一番困ると言う。

この答えについては、
ある落語家の言葉が紹介された。

「念のために生きてみたら」

なるほど。

人生の本質をついているのかもしません。

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■20110130【情報】「子ども手当」について市長の決意に賛同する

子ども手当について、
清水市長は、重大な決意を示した。

全額国費でやるべき、
と意思を示したのだ。

予算案の見積りには、
財源は全額「国」と記されている。

私はこの決意に賛同したい。
同じ考えである。

この見解は、以前ブログに記した。

民主党政権は、
2009年の衆議院選挙時にマニフェストで、
この新規の手当の創設を訴えた。

それを実現するのは、
国民に約束した事だから一理ある。

ただし。

この時、財源は「全額国庫負担」と約束したはずだ。
さらには別途、地域主権も前面に強く打ち出した。

これらの事実から、この手当の金額は、
国が全額を負担すべきものだと断言したい。

足りないから自治体に負担させる、
というのは余りに地域主権と矛盾している。
自治体議員として憤りを覚えるケースである。

自治体は国と「対等・協力」の関係であるはずなのに、
実態は、このように国の意向に従わされる
主従関係であることが露呈した恰好だ。

これは何も民主党政権だけが批判の対象ではない。

自民党政権時代から、
国の理不尽な要求に対し、
自治体サイドは異議申し立てをできずに
ここまで来たのである。

民主党政権は、
その今までの流れに抗することができていない、
というのが本質である。

個人的に心底残念なのは、民主党政権には、
地域主権を本気で進めることを期待した立場として、
このようなことは、してほしくはなかった。

民主党政権の一丁目一番地である
政治主導も地域主権も返上してまで、
子ども手当を導入する必然性が理解できないのである。

その説得に当たる議員の姿が見えないまま、
単に従来型の厚生労働省の行政主導の流れに
乗せてしまっているのではないか。

こんな中。

清水市長の一歩踏み込んだ決断だった。

筋道を通し、意思を示していくのは
政治家の役割である。

こうした政治家の意思が、
「地域主権」を進めていくのだろう。

そもそも地域主権とは、
国から与えてもらうべきものではない。
自らその機会に意思を示し、
実態を変えていくことでしか
実現できない性格のものだ。

従来の行政主導の自治体運営では、
国の意向に異議申し立てをしにくい傾向があるが、
この件は、市長主導での決断だから
強い意思表明をできたのだと認識している。

この市長の決断は、
2月議会において予算案の中に盛り込まれ、
議会で審議される。
どんな結果がでるか注目していただきたい。

以下、さいたま市HPに掲載されている
市長名の説明文のコピー。
 
  ★  ☆  ★

市民の皆様へ 「平成23年度の子ども手当」について

地方負担拒否の強い意思表示を国に行ってまいりますが、
子ども手当は対象となる市民の皆様に全額支給します。

 子ども手当は、民主党が国政選挙においてマニフェストに掲げた政策にもかかわらず、国の財源不足を理由に、平成22年度の子ども手当では暫定措置として地方負担が導入されました。
 私は、子ども手当は、待機児童対策など緊急性の高い地方現場のニーズに対応していない施策であり、また、地方の裁量の余地がまったくない全国一律の現金給付であることから、国が責任を持ってすべての経費を負担すべきものと考えています。こうした理由などから、私は、昨年8月に行った「平成23年度の国の予算等に対する本市の提案・要望」の中に、地方に負担を転嫁せず全額国費とすべきとの内容を盛り込んだところであります。さらに、11月の首都圏の九都県市首脳会議、12月の指定都市市長会議において、他の首長とともに地方負担に強く反対する国への要望を決議するなど、様々な機会を通じて国に地方の意見を受け入れるよう訴えてまいりました。
 また、昨年の12月議会においても、子ども手当制度の事業実施においては、現行の地方負担を廃止し、全額国費で実施するよう求めた「子ども手当の財源の地方負担に反対する意見書」が可決されたところであります。
 このように、平成23年度以降の子ども手当について、私やさいたま市議会、さらに全国の多くの自治体が全額国費で実施するよう強く求めてきたにもかかわらず、昨年末に示された政府予算案においては、残念ながら、平成23年度も今年度と同様に地方負担が継続することとなり、大変遺憾に思っています。
 私は、こうした経緯を踏まえ、全額国費とすべきとの強い意思表示の必要性や平成23年度の子ども手当法案の国会審議の動向を見極める必要性、並びに、市民の皆様への影響などについて、熟慮を重ねた結果、本市の平成23年度の子ども手当に関する予算案については、歳出予算を満額計上する一方、歳入予算については市費負担等を原則計上せず、全額国費として計上することとしました。
 なお、子ども手当の地方負担を拒否するとの強い意思表示を国にしておりますが、対象となる市民の皆様には子ども手当を全額支給いたしますので、ご安心くださるようお願いいたします。
 現在、国では、「子ども手当の地方負担問題」をはじめ、「新たな高齢者医療制度の構築」、「介護保険制度の見直し」等、国民生活、地方行政に大きな影響を与える重要な制度改革が行われようとしております。私は、これらの改革の成否は、本市など人口の集中する指定都市との十分な事前調整がカギとなると考えており、関係閣僚などと指定都市市長との政策対話の場などを設ける努力をしながら、市民目線に立った福祉施策の実現に全力で取組んでまいります。
 市民の皆様にはご理解とご協力をお願いいたします。

平成23年1月21日

さいたま市長  清 水 勇 人

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■20110123【見解】教員が親を提訴した件

埼玉県内の市立小学校の教員が、
再三のクレームで不眠症に陥ったとして、
500万円の慰謝料を求め、
担任の児童の両親を訴えたという。

ニュースを通しての情報であり、
現場を詳しく知らないから、
炯々なことは言えない。

が、教員の立場で親を訴えるということだから、
学校関係者や弁護士のフィルターも通っており、
相当な問題があったと想像される。

私自身もモンスターと称される
市民に遭遇した経験があるから、
察するに余りある。

裁判の行方に注目したい。

ただ、ここで一つ考えておきたいのは、
この児童にとって、
この提訴はどんな意味を持つのか、という点だ。

決してプラスとはならないだろう。
心には相当な傷を負ったのではないか。

今回の件は、この子どもには直接の関係のない話だ。
その親と教員、そして学校の問題なのだ。

この子どもにとって、
この件がどんな影響をもたらすか、
私は心配している。

かといって、
私は教員が提訴すべきではなかった、
というつもりもない。

現在の教育現場における
率直な意向を代弁していると思われ、
世にその是非を問わねばならない状況にまで
来てしまっていることの現れなのだろう。

ただ思うのは、
子どものことを考えた時に、
この方法しかなかったのか、
ということである。

学校なり、教育委員会なりの組織の対応として、
段階的にもう少し対応の仕方があったのではないか。

どうも担任教員が、
子どもたちのすべてを
一手に引き受けていたのではないか、
と想像してしまう。

親からのクレームを、
担任だけに任せるのではなく、
学校として受け止め、
役割分担をして対応するなどして、
親との軋轢を回避できたのではないか。

その結果、裁判を回避できたのではないか。

少なくとも様々な回避策をとって、
それでも万策尽きて解決策がない、
という段階で提訴するべきだったのではないか。

当の担任教員へのケアも、
早い段階で的確になされるべきだったのだろう。

学校もマネジメントの視点から運営を考えるべきで、
教員はその一員である。
こうしたケースから見えてくるのは、
その教員が個人で背負いすぎているという点である。

親らからの教員へのクレームに対し、
学校として真摯に対応するとともに、
暴力的・威圧的な行為で無理難題を押し付ける親には、
学校を挙げて教員を守るなど、
毅然とした対応をとるべきなのだろう。

親の資格を逸している親も確かに存在している。

学校はどんな状況にも耐えうる足腰の強さを
備えていなければならない。

裁判は、
当事者での解決が不可能となった場合の、
決着をつける場である。

もし、ここで決着がついたとして、
どんな結果であれ、
この子どもにとっては、
心の傷が消えることはないだろう。

このようなケースを教訓として、
親など外部への対応は、
学校単位でチームとして
対応していくことを大前提とし、
的確に対応するべきだ。

学校の使命は、
子どもたちの良好な教育環境を
用意することであるはずだ。

年功序列で校長や教頭らの人事が決まるようなシステムでは、
学校経営は務まらないことを教育委員会も強く認識し、
学校の在り方について、
マネジメントの視点から改善を進めるべきではないか。

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■20100723〈政策〉児童虐待問題への視点

「ヒマワリを探しているの」

この言葉を最期に言い残して、
少女は息を引き取った。

これに端を発して「ヒマワリプロジェクト」
というものが立ち上がっているという。
(7月23日産経抄)

被害者の名前は、聖香ちゃん。

母親と内縁の夫による暴力で、
9歳で衰弱死した。

なんとも切なく、いたたまれない事件だ。

虐待で命を奪われること。

この理不尽さを、
私たちの社会は、決して許してはならない。

ところで。

虐待問題は、死亡事件が
クローズアップされているが、
当然ことながら、命こそ奪われなかったものの、
親と同居できず、
家族と切り離されて生活している子どもたちにも
焦点を当てる必要がある。

つまり保護したらそれで解決、ではない。

以下、虐待が認知されてから先の主な流れ。

①虐待の発生が認知される。

②児童相談所に通報
 (全国民に通報義務がある(児童虐待防止法第6条))

 【全国共通ナビダイヤル(24時間)】
  0570-064-000
  ※自動的に近所の児童相談所につながります。

 【24時間児童虐待通告電話】
  048-840-1448
  (休日・夜間を問わず24時間・365日対応)

 【さいたま市児童相談所】
048-840-6107
  (平日8時30分~18時。祝祭日、年末年始は除く)

③児童相談所職員が子どもの保護を決定

④「児童養護施設」「一時保護所(短期間)」へ振り分けられる

ここで。

原理原則論の話をしたい。

子どもの生活する環境は、
「家庭」が望ましい。

しかし施設に保護されたものの、
親子の関係が改善されなければ、
そのまま高校卒業まで施設で過ごすことになる。

施設は緊急避難的な位置づけであって
家庭で生活することが重要なのである。

つまり施設に保護すれば
それでこの問題に一定の決着がつく、
というわけではないのだ。

あくまで緊急避難だ。

しかしその緊急避難が、
現実には、いかに相当数に上っているのか、
という点に注目しなければならない。

その施設への緊急非難さえ、
「予算がない」との理由で、
数の確保が困難になってきているのだ。

親子の関係改善がなされないケースで、
家庭で生活するための方法。

それが「里親」制度である。

しかしこの制度。

なかなか数が増えないのが現状だ。

この普及・支援に
新たに踏み出した取り組みが
5月下旬に訪問した子どもの村福岡。

この件は、後日、当ブログにて、
里親の普及・支援について記す際に、
詳細を紹介したい。

里親制度が進まないなら、
せめて家庭に近い環境を用意するべきだ。

そこで、施設をグループホームのように小規模化し、
地域の中で子どもたちが生活できるように
していく方法が検討されている。

これはこの分野の専門家から、
よく聞かれる提案だ。

さいたま市では実現していないが、
現状においては、
この方向性を模索する必要もあるだろう。

さらにもう一つ。

さいたま市にはそもそも保護する施設自体が、
絶対的に足りない、
という問題がある。

現在さいたま市内の子どものうち、
保護されているのは約300人。
そのうち約3分の2は市外の施設に保護されている。

市内で対応できる施設は3分の1のみ。

市内の子どもたちを受け入れる施設の数でさえ、
確保できていないのが現状である。

以上の課題をまとめると。

①里親普及・支援の推進
②施設の小規模化の推進
③市内保護環境の整備

という項目だてができる。

②と③は関連性が高く、
同時並行で検討することができるだろう。

他の自治体との比較ができているわけではないが、
さいたま市においては、
現状の課題に対し、充分に予算配分がされておらず、
適切な対応ができている状況でないことを
まずは認識しなければならない。

いずれにしても、以上を踏まえて、
これらを優先的課題と位置付けて取り組んでいきたい。

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■20100530〈写報〉 中庭、子どもの村福岡

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子どもの村福岡の中庭。まだ植えたばかりの木と芝生がスタートしたばかりであることを物語る。庭の向こうには、育親と子どもの暮らす家が2棟見える。全部で5棟ある。

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