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タグ"納税者主義"の記事

■20110331【挑戦】土井の主張

以下、土井がこれまで主張し、
引き続き、この挑戦の機会に
有権者に届ける政策内容となる。

不明な点については説明しますので、
お問い合わせください。

【電話】048-886-2858
【メール】doi@doih.net

納税者主義!!

議会が「受益者」に傾き過ぎている現状を、
「納税者」の意向が強く反映されるよう、
議会の質の改革を進めたい。

行政改革のできる議会を創りたい。

節約した税金により、特に積極的に取り組むべきと考える主な分野

  • 脱・児童虐待
  • 介護基盤整備
  • 若年層などの貧困対策
  • 公共施設メンテナンス
  • 文化分野
  • 見沼田圃の活用
  • スマートコミュニティ実験
  • 「共助」強化の危機管理

無所属での挑戦

組織や団体に依存せず、
私の主張に共感して頂いた方に
票を投じていただきたいという思いから、
4度目の選挙も、これまで同様、
無所属での挑戦となる。

有権者とともに成長していく機会としたい。

※その他、これまでのブログをご参照ください。
「納税者主義!!」の具体的取り組み を見る

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■20110326【報告】政治活動の再開

まだ大震災を原因とする非常事態は継続している。
避難者の現状も、原発事故も、計画停電も。

だから。

選挙は延期すべき、
平常時になるまでは延期するべき、
というのが私の見解である。

しかし。

実施されるというならば、気持ちを切り替えるしかない。
次の4年間のさいたま市を展望し戦いに挑みたい。

大震災の発災からこれまで。

自らの政治活動は自粛し、
自ら、この未曽有の事態に貢献できることを考え行動してきた。

各種の情報収集や情報提供。
被災地の現地にまで足を運んだ。

市民への情報提供、特に計画停電について、
分かりやすく一覧表にして配布するなど取り組んできた。

直接の被災地とはとらえられていないさいたま市内であっても、
多くの人々の生活が混乱に至り、
不安な毎日を余儀なくされている現実を目の当たりにした。

ここにきて。

もう告示まで一週間を切った。
次の金曜日の午前には、もう戦いはスタートしている。

いよいよ、である。

私の掲げて準備してきた「納税者主義!!」、
そして節約し確保した税金を投じるべき各種の政策。

これを示していくべき時に来ている。

また、こうした元来の主張に加えて、
新たに訴えていかねばならない項目がある。

今回の大震災やそれに連なる各災害について、
防災士を取得した立場として、
大学院で自治体の危機管理を学んだ立場として、
果たすべき役割がある。

これらをさいたま市に反映するべく、
危機管理、防災等の政策についても、
訴えていきたい。

以上、これ以降、政治活動を、少しづつ再開していく。
各種の政策など、当ブログで順次アップしていく。

今回の挑戦は、過去3度の選挙とは
全く異なる雰囲気のものとなるだろう。

それでも。

戦いに名乗りを上げる以上、
支援をいただく方々の力を借り、
果敢に挑む所存だ。

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■20110309【報告】もう一つの「納税者主義!!」

納税者主義。

今回の挑戦で私の行動を象徴する、
最前面に打ち出している言葉である。

議会に納税者の視点を注入したい、
そんな私の考えを現わした言葉である。

これを自転車街宣にて、
遭遇する市民の皆さんに伝えている。

さて。

南区南西部のとある場所にて。

学校の校庭に隣接する道路に入った。
ところが、少し進んでみて、
その先に通り抜けできる道がないことが分かった。

自転車街宣ではよくあることだ。

しょうがない、踵を返して
元来た方向に自転車の先頭を向けた。

と!

その時。

「待ってえ!」

背後から、初老のおばさんの声。

どうも語気の強い、余裕のない声だから、
こんな時は、厳しく言われるケースが少なくない。

道の最奥部に停まっていた車の
運転席に乗っていたようだ。

「単なる間違いだしなあ…」
必死に短時間で言い訳を考える。

正直、少年時代の私なら、
すぐさまペダルをトップギアで踏み込み、
おばさんを振り切っていたことだろう。

しかし、現在社会的地位のある議員という立場だ。
堂々と受け止めよう。

すると。

そのおばさんが、
「納税者って言うから…」

ああ、言葉についてか。
マイクを通じて流れる私の声と、
自転車に備え付けているのぼり旗の文字の、
それぞれの「納税者」の言葉に関心が強いようだ。

何かクレームかな?

真摯に受け止めよう。
でも、自分の信念に基づいた言葉だ。
一度決めたからには譲れない。

そんな思いで、振り向いた。

これまでの時間、約10秒。

すると…

「あの、ちょっと聞きたいんだけど…」

と話し始めたおばさんが言うのは、
こんな話であった。

確定申告に行こうとしていたが、
電話での相談がどうもわかりにくかったので、
私に相談したい、という趣旨であった。

娘さんが出産をするなど、
医療費がかなりかかったという。
その医療費分の控除や還付について、
知りたかったようだ。

役所に電話し、
その手続きや申告場所を確認して、
おばさんに知らせた。

これで無事に事が解決したようだ。
クレームどころか、感謝された。

では、なぜ私に声をかけたのか。

そう…

「納税者主義!!」が、
「納税者相談」に受け取られたそうな…

「納税者主義!!」も、
さっそく市民の役に立ったそうな!?

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■20110226【見解】「負の分担」の時代、合意形成の在り方

「負の分担」の時代。

親交のある柳田佐久市長の言葉である。

人口が減少するとともに高齢化し、
財政が厳しくなる中、
お互いに負の側面を分担して乗り越えていく、
という意味が込められている。

私もまったく同感である。
行政改革の推進派に名を連ねるのは、
こうした時代認識を持っているからである。

ところで。

この「負の分担」の進め方ほど、
難しいことはない。

利害関係者の意を汲んだ議会、
特に思考停止した議会の判断の壁が存在するのである。

平成の大改革の中心、
といってもいいこのテーマ。

各地で混乱が生じている。
さいたま市でも解りやすい事例がある。

清水市長が昨年の予算において、
「敬老祝い金」を削減することを発表。

高齢の方々が節目の年齢になった際に、
感謝の気持ちを込めて祝い金として
税金から現金2万円を配布する、という制度である。

市長より削減して浮いた財源を、
介護分野などに投じることを同時に説明され、
私は時代の要請に適ったものと理解し賛同した。

しかし。

結論として議会は過半数が反対。

自民党・公明党・共産党、
ここに無駄遣いを指摘してやまない無所属の議員までが、
反対に加わり削減議案は差し戻された。

今年の予算案では削減がなかったこととなり、
元に戻った形で予算案が提案されるに至ったものである。

なぜこうなったのか。

高齢層に支持母体を置く自民・公明・共産それぞれが、
選挙を前にそれを「守った」のである。

どう考えても。

今後、高齢層の数は激増し続ける。

所得や資産に関係なく、4億円の現金が配布されている。

そんな余裕があるなら、そのお金は、
高齢層の生活困窮者対策や介護基盤整備など、
社会が解決するべき優先度の高い分野に
付け替えて成果をあげるべきだろう。

何より高齢層の方々のためである。

実は、私の知る限り、当の高齢者たちも、
廃止を含めた削減を容認する方々ばかりだった。

しかし議会は、
一部の利害関係者の意向をくみ取り、
現状維持の判断をし、
結局、市長もそれに従うこととなった、
というのが、これまでの流れである。

市長にも指摘されるべき所もある。
提案が唐突過ぎた。
説明を怠り、いきなり案を示した感がある。
この点は昨年9月の代表質問時に私も指摘している。

いずれにしても。

この事例が示すように、
税金によリ施されるサービスの受け手である利害関係者と、
議会の多数派とが結託し、
廃止や削減といった「負の分担」ヶなかなか進まない
という現象が現実に存在している。

ドラッカーが、政府機関は
廃棄が苦手であることを示していることから、
さいたま市はおろか、世界的な現象なのだろう。

これが改革を先送りする構造である。

問題は後世の人々に
一気にそのツケが回ることである。

後々、行き詰まった時。

数字上のつじつまを合わせるために、
一気にサービスが廃止・削減され、
一気に負担が増やされることとなる。

その時には、住民生活上の大きな混乱が生じるだろう。
夕張市の事例を忘れてはならない。

行き詰まることは今からわかっている。
どう見ても客観的な指標上、
厳しい時代が到来するのは目に見えている。

「厳しい」という言葉は、
今でも行政職員からよく聞かれるが、
そのレベルではない。

おそらく国からの資金は届かなくなるなるだろうし、
高齢者への福祉などの自然増で、
財政が硬直化するだろう。

行政がやらなければならないサービスさえ提供できなくなる、
といった類の大変な状況までが想像される。

しかし。

体力のある今から着手しておけば、
ソフトランディングできるのだ。

今から何を残して何を廃棄するのか、
住民との建設的な議論を積み重ねれば、
良い形で次の時代に移行できるのではないか。

理想は、その議論の舞台が議会であるということだ。

今の世代はいい想いをして、
将来の若い世代やまだ生まれていない世代に
しわ寄せがいくというのでは、
世代間の不公平感を一層助長することとなる。

30代にギリギリ足をかけている私からすれば、
こうした若者の言葉を代弁する立場として、
以上の点を指摘しておきたい。

現在までのところ、
さいたま市でも行政改革の計画、
「負の分担」のプランまでは示されているが、
これからこれらを実現していけるかどうか、
問われている。

他の自治体では廃止や削減が進んでいる
「敬老祝い金」でさえこのような状況であるから、
今後のさいたま市での行政改革、
特に議会の姿勢がカギを握ることとなる。

もちろん何でも廃止・削減すればいいというわけではない。
市長と同調すべき、と言うつもりもない。

負の分担の視点を全市的に織り込んだ上で、
議会は議会としての独自の姿勢を持てばいい。
議会は全市的に、将来の世代までを視野に
判断していく姿勢が求められていることを、ここでは言いたい。

これまでのように自分の選挙に有利かどうかに判断を矮小化し、
若い世代の希望を失わせることは回避していただきたいものだ。

このような姿勢こそ、
名古屋などで問われたのだろう。

いずれにしても、
このように「負の分担」を目的とした改革ほど
難しいものはないのである。

民主主義を採用する私たちの社会では、
議会という機関の決定なくして物事は進まない。

議会の判断一つにかかっているのである。

こんな時。

新しいタイプの市長が時代の要請を受けて送り出され、
北風を吹き付けて議会を変えるやり方もあろう。
名古屋や阿久根のように。

この方法も否定するわけではない。
どんなことであれ、住民が判断するものである。

しかし私は、住民が学習し成長することで、
その住民が議会に影響を与え、
自ずと議会が変わることを余儀なくされる、
そんな改革が望ましいと考えている。

住民の成熟ほど、
自治の体質を頑強にするものはない。

まさに太陽に照らされた旅人が、
自然にコートを脱ぐ、といったことである。

そんなことができるはずがない。
と思われるかもしれない。

しかし、実例がある。
それも最近のことだ。

その自治体とは。

冒頭の言葉を発した
柳田さんが市長を務める佐久市。

文化会館の建設を巡る住民投票を
実施したケースである。

前市長時代に議決を経て、
建設が決定されていたこの文化会館について、
しかし、柳田市長は市長選挙の候補だった時に、
建設への疑問の声も多数聞いたという。

ここで、河村市長なら「建設反対」を明確にし、
議会を敵と位置付けて演出をしたかも知れない。

しかし、柳田市長は、そうしなかった。

選挙においては「住民投票で決する」
と言うにとどめたのである。
選挙の材料に「反対」を使用しなかった。

柳田市長は、あくまで「議会の議決」を重んじた。
この点が河村市長と根本的に異なる。

河村流。

つまり、議会の決定のうち、
自分に従う部分はいいが、それ以外は認められない、
というこの論法。
後々、自分の首を絞めることとなるだろう。

議会を敵視した論法は、
住民に思わぬ副作用をもたらすだろう。

しかし、自身も市議・県議を歴任してきた柳田市長は、
議会の議決の事実を重視した。

だから撤回の考えを持つ住民が多く存在するからと言って、
選挙目当てに議会の決定の撤回をぶちあげたり、
市長就任後も、自分一人の意思での撤回の判断はしなかった。

あくまで選挙時の約束の、
住民投票を実施するとの考えを貫いた。

9月の議会において議会の修正で、
50%以上の投票率がなければ無効とされたが、
実施されることが決まった。

昨年11月。

住民投票の結果、投票率は50%超。
反対が7割超に上った。

即座に市長は、
総合文化会館の建設を中止を発表した。

この経緯は佐久市HPに詳しい。
http://www.city.saku.nagano.jp/cms/html/entry/3723/418.html

特筆すべきは、説明を尽くそうという佐久市の姿勢。

この住民投票に至るまでに、
市が主催した説明会は実に21会場で開催。
1193名の参加があったという。

会場で出された質問と回答は、
翌日にはホームページに掲載され、
次の説明会で印刷され配布された。

つまり住民の考えは様々な角度から検討され、
判断できるように工夫されていたのだ。

こうした住民との間で徹底して議論し、
決定するという判断。

これこそ、「負の分担」のあるべき、
合意形成の一つの姿なのだろう。

住民は時間をかけて、
財政状況や将来の佐久市の運営にまで、
学習の幅を広げたに違いない。

かくして文化会館の中止と引き換えに、
住民の成長の機会がもたらされたのである。

この件により、
議会も再考を促されることとなった。

十分に尽くされた議論を踏まえて、
住民が判断したのであるから、
この時計の針を元に戻すことにはならないと思われる。

住民が鍛えられ、住民による判断の結果により、
議会の判断も合わせて変更させたケースだった。

この副産物は、
今後の佐久市の自治にももたらされるだろう。
以後の市の重要な判断についても、
住民の建設的な議論のもとに決定されていくに違いない。

議会の決定が覆されることについて、
当の議会も納得せざるを得ないプロセスで
撤回させるに至ったのである。

残念ながら。

この件は、大々的には報じられていない。

劇場型の派手な改革(偽装改革?)が、
メディアには登場しやすい。

絵になるからだろう。

しかし、大人の改革、
さらには本筋の改革と呼ぶべき、
こうした佐久市のような改革も、
同時に行なわれている。

報道機関には、
埋もれている佐久氏のような本筋の改革にこそ、
光を当ててほしい。

民主主義の社会の中、
住民の学習と成長なくして、
「負の分担」の時代を乗り越えることはできない。

住民は、学び成長する機会があれば、
まっとうな判断をする。

そうした環境さえあれば、
敵・味方といった憎悪の感情を基盤にした対立ではなく、
建設的な議論でその地域の将来を検討することにつながる。

議会は住民が選んだ料理を盛り付ける「うつわ」である。
住民が変われば、盛られる料理の質、
つまり議会の質も変化していく。

その文脈で自治体のあり方も
当然に変わることとなる。

柳田市長は、このほかにも、
事業仕分けの実施や
市民活動サポートセンターの設置など、
確実に未来への投資に次々に着手している。

注目すべき自治体の一つである。

柳田市長への壮大な試みに敬意を表するとともに、
佐久市において新時代の到来を思わせる、
この試みを胸に刻んでおきたい。

そして。

私は柳田市長と同じく、
議会の議決は重たいものと考える立場である。

だからこそ、議員を選ぶ住民に、
建設的に呼びかけ、訴えていく。

当面、こんなメッセージを届けたい。

「納税者の意向を議会に反映しよう!」
「行政改革のできる議会を創ろう!」

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■20110207【見解】名古屋トリプル選挙の結果と相撲の八百長事件に共通する本質

名古屋(愛知)のトリプル選挙は、
想像していたとはいえ、
歴史的な選挙結果となったと実感している。

河村氏の圧勝となった。

議会は住民の手で解散に追い込まれ、
3月上旬には選挙が行なわれるという。

私はこの名古屋のトリプル選挙と、
くしくも同時期に大きなニュースとして
報じられた相撲の八百長事件が、
本質の面では共通の構造を持っていると思えてならない。

なにも、名古屋市議会が、
八百長をしていた、というわけではない。

それぞれ時代の要請に合わせて変化し、対応できなければ、
退場や出直しを命じられる、という点である。

相撲の八百長については、
多くの人から、こんな言葉が聞かれる。

「前からやっているとは思っていたけれど…」

以前から、八百長がおこなわれていることを
知っていた人も少なくないのだろう。

私も以前、その事実に関し本で読んだことがある。

相撲に限らず。
キックボクシングの世界でも、
当然のように八百長があったと関係者から聞いたことがある。

全盛期、キックの鬼と呼ばれた
沢村忠さんが活躍した頃の話である。

おそらくは、以前は、今からみれば
驚くほど八百長が横行していたのではないか。

むしろ時代の流れで、
観る側の観客や視聴者の目が肥えたため、
八百長がやりにくくなったのではないか。

だから。

相撲界を揺るがす
歴史的な事件に発展したのではないか。

つまり少し前までは、
誰もが八百長を許容する雰囲気があったが、
時代は移り変わり、
現在は、もはや許されなくなった、
ということである。

ここで、名古屋市の選挙結果に目を向けたい。

名古屋市議会の姿は、
決して名古屋だけの姿ではない。

遅かれ早かれ、名古屋のような光景は、
全国の議会で見られた(ている)現象である。

首長の性急な行動に対しては、
議会は数の論理で対抗し、
決して市長の独断を許さないという傾向。

マクロの体現者である首長と、
ミクロの集合体と言われる議会。

両者は、首長の交代があるたびに、衝突し混乱してきた。

それでも、議会に力があったのは、
住民からの根強い支持があったからだ。

以前ならば首長が議会を解散させるなど、
想像もつかなかっただろう。

右肩上がりの経済の下、
税収がより確保される流れの中で、
自らの支持者に対し、
充分な利益誘導を持って、
支持者の声に応えてきた議員たちの存在があった。

これは右も左も同根である。

しかし、バブル崩壊後。

財政は一気に縮小し右肩下がりである。

グローバル化、人口減少、高齢化…
ますます社会の変化により、
議員個人に配分される財源は縮小し、
ついには余裕はなくなった。

こうして議員が君臨して利益誘導できるような
範囲はほとんど無い状況となった。

それに加えて、
高度な社会構造を持つ、成熟社会を実現した。

ここで議員は「先生」ではなくなったのである。

「先生」と「住民」の関係が成り立つのは、
強くて願いをかなえてくれる「先生」と、
弱くて助けを請う「住民」という
両者の構図が存在して初めて成り立つ。

しかし今。

成熟社会となり、
住民も多くは豊かな生活を手に入れ、
自力で生計を立て、
むしろ納税者として義務を果たしている。

税金の負担はするが、
行政サービスはほとんど享受していない、
という住民が大半を占めるようになったのである。

この住民と議員の関係の変化。

この変化こそ、河村市長が誕生し、
トリプル選挙で勝利した原動力となったのではないか。

つまり、この選挙結果の意味するのは、
社会が変化した事実だったのではないか。

さらに言えば。

議会がこの変化に対応できなかったことを
象徴しているのではないか。

だから住民から退場、
または出直しを命じられたのではないか。

これまでのやり方に安住していれば、
住民は議会にあらゆる方法を駆使して変化を求める、
ということだ。

私は、有権者は賢明であると考えている。

少なくとも、どの選挙結果にも、
有権者のメッセージが込められていると認識している。

今回のトリプル選挙の結果は、
この変化への対応の可否、という意味で、
住民が判断したのだろう。

以上のようなことから、
相撲の八百長事件と構造が似ているのではないか、
と率直に思った。

名古屋市議会を、
他市の議員の私が批判する資格はない。

ここでは、我がさいたま市議会において、
教訓として受け止める意味で、見解を記している。

もはや変化のスピードは驚くほど速くなっている。
私自身も自分を改革派などと
自称して胡坐をかいてはいられない。

立ち止まると、たちまち劣化し守旧派となる。
そんなことを自覚させられるような、
目の覚める名古屋の歴史的選挙結果だった。

変化に対応できるものが生き残っていくのだろう。

この名古屋現象は、
今後の日本社会全体を巻き込む変化の象徴であり、
スタートを知らせる号砲でもある。

「すでに起こった未来」として
受け止めたいものだ。
きっと10年後の自治体議会は、
今とは似ても非なるものとなっているに違いない。

そのための変化の担い手たるように、心がけたい。
まずは納税者の意向を議会に反映させることだ。

議会が議会のすべき役割を果たすこと。
住民のための議会に立ち戻ること。

できるところから始めたい。

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